エゾリンドウやエンビセンノウなど(初秋の入笠山) [山野草]
9月3日に行った入笠山のお花です。
その前に前記事のクイズの答えは「ヤナギラン」でした

今回はお花と蝶やトンボなどをはじめにアップ。
アザミ(キク科)と蝶
アザミと蜂
エゾリンドウ(リンドウ科)とトンボ
マツムシソウ(マツムシオウ科)と蝶
マツムシソウと蜂
ワレモコウ(バラ科)とトンボ
エンビセンノウ(ナデシコ科)と小さく写っているのはアブかな
この下からはお花だけ。
フシグロセンノウ(ナデシコ科)
アカバナ(アカバナ科)
アケボノソウ(リンドウ科)
エゾリンドウ(リンドウ科)
キキョウ(キキョウ科)
サワギキョウ(キキョウ科)
シモツケ(バラ科)
ツリフネソウ(ツリフネソウ科)
ハクサンフウロ(フウロソウ科)
ヤマハハコ(キク科)
最後はハナイカリ(リンドウ科)です
次回は10月5日(水曜日)泉自然公園のお花です。
9月27日、今年初めて金木犀の香りを感じた。
その前に前記事のクイズの答えは「ヤナギラン」でした
![[わーい(嬉しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/140.gif)

今回はお花と蝶やトンボなどをはじめにアップ。
アザミ(キク科)と蝶

アザミと蜂

エゾリンドウ(リンドウ科)とトンボ

マツムシソウ(マツムシオウ科)と蝶

マツムシソウと蜂

ワレモコウ(バラ科)とトンボ

エンビセンノウ(ナデシコ科)と小さく写っているのはアブかな

この下からはお花だけ。
フシグロセンノウ(ナデシコ科)

アカバナ(アカバナ科)

アケボノソウ(リンドウ科)

エゾリンドウ(リンドウ科)

キキョウ(キキョウ科)

サワギキョウ(キキョウ科)

シモツケ(バラ科)

ツリフネソウ(ツリフネソウ科)

ハクサンフウロ(フウロソウ科)

ヤマハハコ(キク科)

最後はハナイカリ(リンドウ科)です

次回は10月5日(水曜日)泉自然公園のお花です。
![[ひらめき]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/151.gif)
初秋の入笠山 [写真館]
9月3日、歩きながら写す写真ツアーで、入笠山に行きました。この日は晴れ。それ以後はぐずついたお天気でしたから、ラッキーでした。
初めにクイズ。
これは何の花の絹毛かお分かりになりますか?もしこれだけでお分かりになったらあなたは山野草の達人![[わーい(嬉しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/140.gif)

答えは置いといて・・・ゴンドラの駅
ゴンドラ頂上駅からの八ヶ岳。頭に雲がかかっていました。ちょっと残念。
まだ草紅葉には早い・・・
白樺と
入笠山頂上です
頂上からの八ヶ岳方面、薄と一緒に写してみました。
茅ヶ岳が見えています。
カラマツもほんの少しだけ色づいて来て
上から湿原を見下ろします
木道とエゾリンドウ
さて、一枚目のクイズのヒント。全体像です・・・これだとお分かりになる方がいらっしゃるのでは?
答えは次回。次回は29日(木曜日)になります。
初めにクイズ。
これは何の花の絹毛かお分かりになりますか?もしこれだけでお分かりになったらあなたは山野草の達人
![[わーい(嬉しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/140.gif)

答えは置いといて・・・ゴンドラの駅

ゴンドラ頂上駅からの八ヶ岳。頭に雲がかかっていました。ちょっと残念。

まだ草紅葉には早い・・・

白樺と

入笠山頂上です

頂上からの八ヶ岳方面、薄と一緒に写してみました。

茅ヶ岳が見えています。

カラマツもほんの少しだけ色づいて来て

上から湿原を見下ろします

木道とエゾリンドウ

さて、一枚目のクイズのヒント。全体像です・・・これだとお分かりになる方がいらっしゃるのでは?

答えは次回。次回は29日(木曜日)になります。
ウギー湖の夜明け~東京 [山・旅]
8月10日から7日間のモンゴルへの旅行記、本日最終です
明けて15日、夜明け近くの空を写しました。
5時35分 北西方向かな、
5時39分 東寄りの空
1分後、東の空、少し寄せて
同じく東、寄せて
この後、朝食をいただいて、ウランバートルに向けて出発です。
バスの車窓から・・・猛禽類と思われる鳥を何度か見かけましたが、なかなかちゃんと写せないです![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)

放牧している、牛が道路まで出てきます。
モンゴルに来て初めて見た列車。後ろの車両が重なって見えていないですが、長かったです。
ウランバートルに着きました。今までの草原とは雲泥の差。

バスを降りたら昼食。写真は写しませんでしたが、豪勢なしゃぶしゃぶ・・・久しぶりに野菜をたっぷり(中国からの輸入品?)いただきました。
その後デパート見学、買い物やカシミヤの店へ立ち寄り(わたくし何にも買いません)
下写真のピンク色の建物(国立劇場)で民族舞踊やショー、馬頭琴(この音色を聴けて良かった。スーホーの白い馬を思い出す)、オーケストラとうの伝統音楽など楽しみました。
最後の夕食はロシア料理
ホテル(一日目と一緒のフラワーホテル)へ最後の一泊をして、翌日東京へ戻ります。
飛行場
北(例のあの国)の上空は飛べない(?)らしい・・・ぐっと南に下って東京へ
明けて15日、夜明け近くの空を写しました。
5時35分 北西方向かな、

5時39分 東寄りの空

1分後、東の空、少し寄せて

同じく東、寄せて

この後、朝食をいただいて、ウランバートルに向けて出発です。
バスの車窓から・・・猛禽類と思われる鳥を何度か見かけましたが、なかなかちゃんと写せないです
![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)

放牧している、牛が道路まで出てきます。

モンゴルに来て初めて見た列車。後ろの車両が重なって見えていないですが、長かったです。

ウランバートルに着きました。今までの草原とは雲泥の差。


バスを降りたら昼食。写真は写しませんでしたが、豪勢なしゃぶしゃぶ・・・久しぶりに野菜をたっぷり(中国からの輸入品?)いただきました。
その後デパート見学、買い物やカシミヤの店へ立ち寄り(わたくし何にも買いません)
下写真のピンク色の建物(国立劇場)で民族舞踊やショー、馬頭琴(この音色を聴けて良かった。スーホーの白い馬を思い出す)、オーケストラとうの伝統音楽など楽しみました。

最後の夕食はロシア料理

ホテル(一日目と一緒のフラワーホテル)へ最後の一泊をして、翌日東京へ戻ります。
飛行場

北(例のあの国)の上空は飛べない(?)らしい・・・ぐっと南に下って東京へ

今回も無事帰国しました。
長々ありがとうございました<(__)>
次回は26日(月曜日)、初秋の入笠山です。
長々ありがとうございました<(__)>
次回は26日(月曜日)、初秋の入笠山です。
ウギー湖へ(モンゴル) [山・旅]
8月10日から1週間のモンゴル旅行記掲載中です
5日目(14日)です。この日は二日間お世話になったツェンケル温泉を後に、次の宿泊地ウギー湖へ向かいます。
ワゴン車で出発
↑この道一見平たんに見えますが、凸凹!
1時間30分弱、このワゴン車に揺られた後、ツェツェルレグと言う所で専用バスに乗り換えます。
そのツェツェルレグと言う町と、乗ってきたワゴン車。草原の中、こういう町が突如現れる。
遊牧民の生活する草原の中、舗装道路を通って。
途中ザハ市場(観光客用ではありません)に寄って生活の一端をちょっと垣間見る。
この市場にはお野菜を売っているところはなく(当然?) チーズを売っている店はありました。
ゲル用品の店
小麦粉だけを取り扱う店。一袋が5キロや10キロ単位。これでも1週間分ほどだそうです。
その後昼食。ここでは前のお客さんがまだ済んでなくて待たされました。その間、庭を散歩してお花を写す。


昼食後は、ホショーツァイダム遺跡と言う所に寄りました。で、ここは何? いまだによく理解できないわたくしですが、どうやらトルコ時代(ガイドさんはこういう言い方をしていらっしゃった)にこの辺りに集落があった? その集落の王様(支配者?)の何やらかにやらが置いてある博物館のような・・・
↑こういう建物も、何だか突然平原の中に現れるような感じなんです。
それからまたバスで走って、宿泊地ウギー湖が見えてきた。
いったん割り当てられたゲルに入り、その後乗馬体験
乗るとき落っこちそうになったわたくし![[ふらふら]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/144.gif)

そして民族衣装を着てみる
人数が多いので、乗馬体験と民族衣装を着るのは半分ずつ交互に行ったのですが、あとの乗馬体験組の時突然にわか雨、大降り…気の毒でした(わたくしは前の組だったから濡れなかった)
そして虹が出た
夕食後、ゲルへ戻ってゆっくりしていると「夕焼けが綺麗よ~」と言う仲間の声・・・急いでカメラをもって外に出ると・・・


ボートが浮かんで…夕日の染まる中だともっと絵になったのだけれど、都合よくいかないわ。
次回は23日(金曜日)です。
5日目(14日)です。この日は二日間お世話になったツェンケル温泉を後に、次の宿泊地ウギー湖へ向かいます。
ワゴン車で出発

↑この道一見平たんに見えますが、凸凹!
1時間30分弱、このワゴン車に揺られた後、ツェツェルレグと言う所で専用バスに乗り換えます。
そのツェツェルレグと言う町と、乗ってきたワゴン車。草原の中、こういう町が突如現れる。

遊牧民の生活する草原の中、舗装道路を通って。

途中ザハ市場(観光客用ではありません)に寄って生活の一端をちょっと垣間見る。
この市場にはお野菜を売っているところはなく(当然?) チーズを売っている店はありました。
ゲル用品の店

小麦粉だけを取り扱う店。一袋が5キロや10キロ単位。これでも1週間分ほどだそうです。

その後昼食。ここでは前のお客さんがまだ済んでなくて待たされました。その間、庭を散歩してお花を写す。



昼食後は、ホショーツァイダム遺跡と言う所に寄りました。で、ここは何? いまだによく理解できないわたくしですが、どうやらトルコ時代(ガイドさんはこういう言い方をしていらっしゃった)にこの辺りに集落があった? その集落の王様(支配者?)の何やらかにやらが置いてある博物館のような・・・

↑こういう建物も、何だか突然平原の中に現れるような感じなんです。
それからまたバスで走って、宿泊地ウギー湖が見えてきた。

いったん割り当てられたゲルに入り、その後乗馬体験
![[わーい(嬉しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/140.gif)
![[ふらふら]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/144.gif)

そして民族衣装を着てみる

人数が多いので、乗馬体験と民族衣装を着るのは半分ずつ交互に行ったのですが、あとの乗馬体験組の時突然にわか雨、大降り…気の毒でした(わたくしは前の組だったから濡れなかった)
そして虹が出た

夕食後、ゲルへ戻ってゆっくりしていると「夕焼けが綺麗よ~」と言う仲間の声・・・急いでカメラをもって外に出ると・・・



ボートが浮かんで…夕日の染まる中だともっと絵になったのだけれど、都合よくいかないわ。

次回は23日(金曜日)です。
遊牧民家族を訪ねる(モンゴル) [山・旅]
8月10日から16日までのモンゴル旅行を掲載中
フラワーウォッチングの後は遊牧民の家族を訪ねます。
ゲルの中に案内されて
さすがにツーリストキャンプのゲルと違って家庭用品が一杯!
上からぶら下がるチーズ
そして石鹸
白い液体は「馬乳酒」
わたくしたちも少しずつ試飲しました。
味は・・・酸っぱい酸っぱい「飲むヨーグルト」的でアルコールも感じないし、甘みも全然ありません。
ツアーのメンバーはわたくしも含めて、なめる程度で「もういいわ」と言う感じでしたが、今この馬乳酒を持っていらっしゃる方は、わたくしたちが乗ってきたワゴン車のドライバーさんの一人ですが、ぐーっと全部これを飲まれました。さすがーーー!
子供の笑顔・・・ここでちょっとこの「笑顔」について。
ガイドさんと最初に出会ったとき、ガイドさんが「皆様驚かれるかもしれませんが、皆不愛想に見えます。しかしこれは社会主義の時代には『外で他人の前で笑顔を見せてはいけない』と言う規制があったからなんです」と言われました。体制が変わったからと言ってすぐには人間は変わらない。でも子供たちは結構恥ずかしそうにしながらも少し笑顔がありましたよ。
乳しぼり(体験をした方も、わたくしはしなかったです)

ヤギと仲良し
坊主頭に・・・男の子は1歳、3歳、5歳で坊主頭に。女の子は2歳と4歳で・・・これは昔、頭の病気で誰かが頭をそって、治ったのかな、その名残らしく、一種のお呪いみたいなもののようです。「髪切り式」と言う儀式のようなこともするようです。
下の写真の子は二人とも女の子、髪が伸びる途中のようですね。
これから馬の乳しぼりの時間。ご主人が母馬を牧草地から連れ戻しに行くところ。
馬の乳しぼり、ご夫婦の息の合った仕事
これで午前中の予定は終了。ツーリストキャンプに戻って昼食後はゲルの解体作業を見ます。
解体作業は動画でしか写さなかったので、ちょっとそのかなから三枚静止画にしたものです。
まず紐を外して一番上はビニールのようなもですがそれを外し、その下がフェルト(夏は薄手、冬は厚手だそうです)ですがそれを外し・・・
屋根の梁の部分を外し
中の二本の柱を外し、その後ドアと外回りを取り外し
(組み立てはこの反対)中を片付けたらお引越しということですが、現在遊牧生活は夏だけのようですね。
秋から冬、春の間は子供の学校のこともあり、村に滞在するそうです。
次回は20日(火曜日)です。
フラワーウォッチングの後は遊牧民の家族を訪ねます。
ゲルの中に案内されて

さすがにツーリストキャンプのゲルと違って家庭用品が一杯!
上からぶら下がるチーズ

そして石鹸

白い液体は「馬乳酒」
わたくしたちも少しずつ試飲しました。
味は・・・酸っぱい酸っぱい「飲むヨーグルト」的でアルコールも感じないし、甘みも全然ありません。
ツアーのメンバーはわたくしも含めて、なめる程度で「もういいわ」と言う感じでしたが、今この馬乳酒を持っていらっしゃる方は、わたくしたちが乗ってきたワゴン車のドライバーさんの一人ですが、ぐーっと全部これを飲まれました。さすがーーー!

子供の笑顔・・・ここでちょっとこの「笑顔」について。
ガイドさんと最初に出会ったとき、ガイドさんが「皆様驚かれるかもしれませんが、皆不愛想に見えます。しかしこれは社会主義の時代には『外で他人の前で笑顔を見せてはいけない』と言う規制があったからなんです」と言われました。体制が変わったからと言ってすぐには人間は変わらない。でも子供たちは結構恥ずかしそうにしながらも少し笑顔がありましたよ。

乳しぼり(体験をした方も、わたくしはしなかったです)


ヤギと仲良し

坊主頭に・・・男の子は1歳、3歳、5歳で坊主頭に。女の子は2歳と4歳で・・・これは昔、頭の病気で誰かが頭をそって、治ったのかな、その名残らしく、一種のお呪いみたいなもののようです。「髪切り式」と言う儀式のようなこともするようです。
下の写真の子は二人とも女の子、髪が伸びる途中のようですね。

これから馬の乳しぼりの時間。ご主人が母馬を牧草地から連れ戻しに行くところ。

馬の乳しぼり、ご夫婦の息の合った仕事

これで午前中の予定は終了。ツーリストキャンプに戻って昼食後はゲルの解体作業を見ます。
解体作業は動画でしか写さなかったので、ちょっとそのかなから三枚静止画にしたものです。
まず紐を外して一番上はビニールのようなもですがそれを外し、その下がフェルト(夏は薄手、冬は厚手だそうです)ですがそれを外し・・・

屋根の梁の部分を外し

中の二本の柱を外し、その後ドアと外回りを取り外し

(組み立てはこの反対)中を片付けたらお引越しということですが、現在遊牧生活は夏だけのようですね。
秋から冬、春の間は子供の学校のこともあり、村に滞在するそうです。
次回は20日(火曜日)です。
フラワーウォッチング(モンゴル) [山・旅]
8月10日から16日までのモンゴル旅行を掲載中です
旅の4日目の午前中は、またワゴン車に揺られて20分~25分走ってフラワーウォッチング。
こんなところに着きました。
いろんなお花がありました
適当に抜粋
オオレイジンソウに似たお花
キバノカワラマツバのような
ナデシコの一種
ノコンギクの仲間
ヒゴダイです
フウロソウの仲間
ベロニカの仲間
マンテマの一種
ミヤマアズマギクの仲間
左手側はこんな小高い所
その小高い所に登って、皆が歩いているところを見下ろすと
モンゴルで見つけたウスユキソウ
モンゴルのリンドウ
そしてこんなワゴン車に揺られてキャンプ地に戻りました。
この↑、ワゴン車は持つ所がどこにもなくて、ひどく揺れるので道の凸凹がひどくなると、自分を安定させるのに苦労がいりましたよ。せめて’つり革’的なものでもついていると良いのに。
午後は遊牧民のゲルを訪ねたり、ゲルの解体作業を見たりしました。
次回、17日(土曜日)に続きます。
旅の4日目の午前中は、またワゴン車に揺られて20分~25分走ってフラワーウォッチング。
こんなところに着きました。

いろんなお花がありました
適当に抜粋
オオレイジンソウに似たお花

キバノカワラマツバのような

ナデシコの一種

ノコンギクの仲間

ヒゴダイです

フウロソウの仲間

ベロニカの仲間

マンテマの一種

ミヤマアズマギクの仲間

左手側はこんな小高い所

その小高い所に登って、皆が歩いているところを見下ろすと

モンゴルで見つけたウスユキソウ

モンゴルのリンドウ

そしてこんなワゴン車に揺られてキャンプ地に戻りました。

この↑、ワゴン車は持つ所がどこにもなくて、ひどく揺れるので道の凸凹がひどくなると、自分を安定させるのに苦労がいりましたよ。せめて’つり革’的なものでもついていると良いのに。
午後は遊牧民のゲルを訪ねたり、ゲルの解体作業を見たりしました。
次回、17日(土曜日)に続きます。
カラコルムを経てツェンケル温泉へ [山・旅]
8月10日から7日間のモンゴル旅行記を掲載中です
ブルドのツーリストキャンプを後に本日は途中カラコルムの遺跡に寄ってツェンケル温泉を目指します。
カラコルム(ハラホリン)について:1235年、チンギス・ハーンの次男でモンゴル帝国第二代のハーン、チンギス・タイ・ハーンがここに都を作り宮殿や寺院など建造。モンゴル帝国の首都として繁栄したようです。
マルコポーロなども訪れているようですね。
その中でわたくしたちが訪ったのはエルデニ・ゾーと言う世界遺産にも登録されている大寺院群。
バスで走って来て何だか唐突に草原の中に現れた寺院群と言う印象。
108の卒塔婆に囲まれています。



以上は1585年~17世紀に渡って建築された寺院群。現在資料館のようになっています。
この下は現在お寺としてお坊さんが修行されていました。
カラコルム見学が終わったら、ツェンケル温泉を目指します。
バスから見た途中の風景。白い点々はゲル。
昼食のレストラン
その後、途中ツェツェルレグと言う所でバスからライトバン(ワゴン車?)に乗り換え、悪路を走行(ロシア製の車で、悪路が平気^^)
こういう川のような水の中を渡って
今晩のお宿、ツェンケル温泉ツーリストキャンプに着きました。
アイスランドのブルーンラグーンを思い浮かべていたらけた違い![[がく~(落胆した顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/142.gif)

夕食に珍しいキューリ(前菜)。これが最初で最後かな・・・
翌日の朝です。キャンプからの日の出前の景色。
これが大体朝の7時ころです。
次回は14日(水曜日)です。
ブルドのツーリストキャンプを後に本日は途中カラコルムの遺跡に寄ってツェンケル温泉を目指します。
カラコルム(ハラホリン)について:1235年、チンギス・ハーンの次男でモンゴル帝国第二代のハーン、チンギス・タイ・ハーンがここに都を作り宮殿や寺院など建造。モンゴル帝国の首都として繁栄したようです。
マルコポーロなども訪れているようですね。
その中でわたくしたちが訪ったのはエルデニ・ゾーと言う世界遺産にも登録されている大寺院群。
バスで走って来て何だか唐突に草原の中に現れた寺院群と言う印象。
108の卒塔婆に囲まれています。




以上は1585年~17世紀に渡って建築された寺院群。現在資料館のようになっています。
この下は現在お寺としてお坊さんが修行されていました。

カラコルム見学が終わったら、ツェンケル温泉を目指します。
バスから見た途中の風景。白い点々はゲル。

昼食のレストラン

その後、途中ツェツェルレグと言う所でバスからライトバン(ワゴン車?)に乗り換え、悪路を走行(ロシア製の車で、悪路が平気^^)
こういう川のような水の中を渡って

今晩のお宿、ツェンケル温泉ツーリストキャンプに着きました。

アイスランドのブルーンラグーンを思い浮かべていたらけた違い
![[がく~(落胆した顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/142.gif)

夕食に珍しいキューリ(前菜)。これが最初で最後かな・・・

翌日の朝です。キャンプからの日の出前の景色。

これが大体朝の7時ころです。

次回は14日(水曜日)です。
エルスン・タサルハイ(砂の飛び地)、夜空など [山・旅]
2016年8月10日から16日のモンゴル旅行を掲載しています。
ブルドのキャンプ地について、
夕食です。
ヤキウドン、ってわたくしが名前を付けました。このほかサラダとデザートがありました。
この国はこの時点で夏時間、日本との時差がありません。
それだけに、緯度が高いこともあって、日の沈むのが遅いです。夕食をいただいたのが7時30分頃。その後
エルスン・タサルハイ(砂の飛び地)と言われるところに夕日の沈むのを見に行きます。21時少し前から出かけて、車を走らせ10分弱、砂の飛び地に着きました。
風紋です


こちらは後ろを振り返ってみた、別のキャンプ地。
犬が・・・すぐ近くにテントを張って休暇を楽しむグループがいました。多分その方たちの飼い犬。
その後キャンプに戻って暗くなるのを待ちます。
天の川が見られましたが、三脚を立てて準備する間に・・・なんだか見えなくなって(24時過ぎ)![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)

こちらは夜明けの写真です。6時30分少し前
朝食を済ませたら、途中寄り道をしながら、次のキャンプ地ツェンケル温泉へ向かいます。
モンゴルの食糧事情: これはあくまでわたくしが観光して周ったところの話ですが、そしてまたウランバートルとはまったく事情が異なりますが、食糧事情のこと。
記憶にある限りお野菜はジャガイモと人参。ひょっとしたら玉ねぎもあったかしらね~、という程度にお野菜がないです。
牛肉と羊肉はふんだんにあります。またバターもパンと一緒にかなりの量、供されます。
聞くところによると、お野菜はほとんど中国からの輸入に頼っているようです。
それから周りを他の国に囲まれている「海なし国」。肉が好きでないわたくしにとっては悲しいかな・・・魚介類は一切出ません。(ま、これはしかたないこと)
小麦粉は多分自国でできているのでしょう。パン、うどんの類は普通においしく頂けました。
こういうパンや麺類などは全部主婦の手作り。いわゆる「出来合い」のものはないようです。
味は薄味。ほとんどが塩味です。決して不味いというものはなかったです。肉好きの夫や息子は大体完食です。
次回は11日(日曜日)になります
ブルドのキャンプ地について、
![[レストラン]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/50.gif)
ヤキウドン、ってわたくしが名前を付けました。このほかサラダとデザートがありました。

この国はこの時点で夏時間、日本との時差がありません。
それだけに、緯度が高いこともあって、日の沈むのが遅いです。夕食をいただいたのが7時30分頃。その後
エルスン・タサルハイ(砂の飛び地)と言われるところに夕日の沈むのを見に行きます。21時少し前から出かけて、車を走らせ10分弱、砂の飛び地に着きました。
風紋です



こちらは後ろを振り返ってみた、別のキャンプ地。

犬が・・・すぐ近くにテントを張って休暇を楽しむグループがいました。多分その方たちの飼い犬。

その後キャンプに戻って暗くなるのを待ちます。
天の川が見られましたが、三脚を立てて準備する間に・・・なんだか見えなくなって(24時過ぎ)
![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)

こちらは夜明けの写真です。6時30分少し前

朝食を済ませたら、途中寄り道をしながら、次のキャンプ地ツェンケル温泉へ向かいます。
モンゴルの食糧事情: これはあくまでわたくしが観光して周ったところの話ですが、そしてまたウランバートルとはまったく事情が異なりますが、食糧事情のこと。
記憶にある限りお野菜はジャガイモと人参。ひょっとしたら玉ねぎもあったかしらね~、という程度にお野菜がないです。
牛肉と羊肉はふんだんにあります。またバターもパンと一緒にかなりの量、供されます。
聞くところによると、お野菜はほとんど中国からの輸入に頼っているようです。
それから周りを他の国に囲まれている「海なし国」。肉が好きでないわたくしにとっては悲しいかな・・・魚介類は一切出ません。(ま、これはしかたないこと)
小麦粉は多分自国でできているのでしょう。パン、うどんの類は普通においしく頂けました。
こういうパンや麺類などは全部主婦の手作り。いわゆる「出来合い」のものはないようです。
味は薄味。ほとんどが塩味です。決して不味いというものはなかったです。肉好きの夫や息子は大体完食です。
次回は11日(日曜日)になります
ウランバートル(ガンダン寺など)ドライブ [山・旅]
2016年8月10日から16日のモンゴル旅行を掲載しています。
11日です。朝9時ホテルを出発して二か所、ウランバートル観光です。
一か所はガンダン寺。1838年建立された古いチベット仏教寺院ですが、極左政権時代にいったんその機能を失い(破壊もされている)1940年代に回復、1970年代には仏教大学も併設されました。
現在、古いものはあまり残っておらず民主化以降再建されたものが多いようです。
こちら残っている古い建物
開眼観音。高さ25メートル。これは二代目。初代のものはスターリンによって破壊されソ連に持ち去られたそうです。
次の二つの像も説明されましたが・・・忘れました![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)


次に訪れたのはチンギス・ハーン広場(旧名スフバートル広場、2013年に改称されました)
スフバートル:1921年のモンゴル革命の指導者のひとり。30歳で夭折。国の英雄だそうです。(ガイドさんは、未だスフバートル広場とおっしゃっていました)
大きな建物は政府宮殿です。その中央には、チンギス・ハーンの像。(画像を少し明るくしています)
こちらがスフバートル。広場の中央に騎馬像があります。
これでウランバートル市内の見学は終わり。この旅の目的はどちらかと言うと自然を楽しむ旅ですから市内見学はそこそこで・・・
これからバスに乗って5時間ばかり走ります。最初の目的地ブルドへ![[バス]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/35.gif)


途中青空トイレです。
時々ゲルは現れるものの、村らしきものはほとんど見当たりません。1~2度、人家らしい数棟の建物があったような記憶。
青空トイレに寄ったとき見つけた花。シブツアサツキのようなお花でした。
また走ります。
下のゲルは、宿泊施設、ツーリストキャンプと言われるもの。わたくしたちもここにお世話になりました。
キャンプ地のシャワーとトイレ


施設のゲル内
その周りで見つけたお花。マメ科の植物
白いケシのお花
次回は8日(木曜日)です
11日です。朝9時ホテルを出発して二か所、ウランバートル観光です。
一か所はガンダン寺。1838年建立された古いチベット仏教寺院ですが、極左政権時代にいったんその機能を失い(破壊もされている)1940年代に回復、1970年代には仏教大学も併設されました。
現在、古いものはあまり残っておらず民主化以降再建されたものが多いようです。

こちら残っている古い建物

開眼観音。高さ25メートル。これは二代目。初代のものはスターリンによって破壊されソ連に持ち去られたそうです。

次の二つの像も説明されましたが・・・忘れました
![[もうやだ~(悲しい顔)]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/143.gif)


次に訪れたのはチンギス・ハーン広場(旧名スフバートル広場、2013年に改称されました)

スフバートル:1921年のモンゴル革命の指導者のひとり。30歳で夭折。国の英雄だそうです。(ガイドさんは、未だスフバートル広場とおっしゃっていました)
大きな建物は政府宮殿です。その中央には、チンギス・ハーンの像。(画像を少し明るくしています)

こちらがスフバートル。広場の中央に騎馬像があります。

これでウランバートル市内の見学は終わり。この旅の目的はどちらかと言うと自然を楽しむ旅ですから市内見学はそこそこで・・・
これからバスに乗って5時間ばかり走ります。最初の目的地ブルドへ
![[バス]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/35.gif)


途中青空トイレです。
時々ゲルは現れるものの、村らしきものはほとんど見当たりません。1~2度、人家らしい数棟の建物があったような記憶。
青空トイレに寄ったとき見つけた花。シブツアサツキのようなお花でした。

また走ります。

下のゲルは、宿泊施設、ツーリストキャンプと言われるもの。わたくしたちもここにお世話になりました。

キャンプ地のシャワーとトイレ


施設のゲル内

その周りで見つけたお花。マメ科の植物

白いケシのお花

次回は8日(木曜日)です
モンゴルへ [山・旅]
8月10日から7日間、モンゴルへツアー旅行を家族三人でしてきました。
しばらくの間、旅行記にお付き合いくださいませ<(__)>
まず地図。

今回の旅行は狭い範囲なんです。でも、車で走ると5時間以上かかりますよ。
モンゴルへの旅行を思い立ったのは、特別の事情ではなく、多分安全、かつワイルドである・・・と言った大した理由もなく決めました。
8月10日午後、予定が遅れて3時過ぎ離陸しました。
この飛行機
ウランバートルに着く少し前の機内からの景色
空港です。チンギス・ハーン空港と改名されているようです。
空港で出迎えのガイドさん、トゥヤさんと合流。この日はホテルへ行くのみ。
下のホテルの写真は翌朝写したものです。
本日は写真はここまでにして少しモンゴルのことを。
モンゴルについて: モンゴルは1206年にチンギス・ハーンによって起こった遊牧国家ですが、それ以来紆余曲折を経て、現在はロシアと中国に国境を接する日本の4倍ほどの国土を持つ多党政党の一応民主主義国家です。
(1921年、ソ連の後ろ楯で中国より独立、ソ連の衛星国家のような存在となる)1924年ボグド・ハーンの死去後、1928年右派を追放それ以後、社会主義国家となり一種の恐怖政治(?)など粛清が行われて時代もあったようで、
今回わたくしたちは行きませんでしたが、政治粛清記念博物館といったものもあるようです。
1980年代後半からのソ連のペレストロイカに影響され1992年、ソ連の崩壊により現在の国家形態になりました。
日本とは1972年、国交を開いています。
現在、はっきり言ってかなり経済的には苦しい国家だと感じました。
人口が少ないです。300万人、徐々に増えてきているようです。ただし、ウランバートルは人口過密? 時間によっては渋滞が凄いです。
ウランバートルとその他とはまるで別物(と言っても、わたくしたちが見たのはほんのモンゴルの一部)。生活形態がウランバートルはほかの国の大都市とあまり変わりなく車社会(トヨタ車が7~8割?)、その他のところはいまだ遊牧民ののんびりした雰囲気。ただ昔と違って、遊牧民も家畜を車で追ったりして、かなりその雰囲気、生活は変わったそうです。
次回,5日(月曜日)から旅行の模様を
しばらくの間、旅行記にお付き合いくださいませ<(__)>
まず地図。


今回の旅行は狭い範囲なんです。でも、車で走ると5時間以上かかりますよ。
モンゴルへの旅行を思い立ったのは、特別の事情ではなく、多分安全、かつワイルドである・・・と言った大した理由もなく決めました。
8月10日午後、予定が遅れて3時過ぎ離陸しました。
この飛行機

ウランバートルに着く少し前の機内からの景色

空港です。チンギス・ハーン空港と改名されているようです。

空港で出迎えのガイドさん、トゥヤさんと合流。この日はホテルへ行くのみ。
下のホテルの写真は翌朝写したものです。

本日は写真はここまでにして少しモンゴルのことを。
モンゴルについて: モンゴルは1206年にチンギス・ハーンによって起こった遊牧国家ですが、それ以来紆余曲折を経て、現在はロシアと中国に国境を接する日本の4倍ほどの国土を持つ多党政党の一応民主主義国家です。
(1921年、ソ連の後ろ楯で中国より独立、ソ連の衛星国家のような存在となる)1924年ボグド・ハーンの死去後、1928年右派を追放それ以後、社会主義国家となり一種の恐怖政治(?)など粛清が行われて時代もあったようで、
今回わたくしたちは行きませんでしたが、政治粛清記念博物館といったものもあるようです。
1980年代後半からのソ連のペレストロイカに影響され1992年、ソ連の崩壊により現在の国家形態になりました。
日本とは1972年、国交を開いています。
現在、はっきり言ってかなり経済的には苦しい国家だと感じました。
人口が少ないです。300万人、徐々に増えてきているようです。ただし、ウランバートルは人口過密? 時間によっては渋滞が凄いです。
ウランバートルとその他とはまるで別物(と言っても、わたくしたちが見たのはほんのモンゴルの一部)。生活形態がウランバートルはほかの国の大都市とあまり変わりなく車社会(トヨタ車が7~8割?)、その他のところはいまだ遊牧民ののんびりした雰囲気。ただ昔と違って、遊牧民も家畜を車で追ったりして、かなりその雰囲気、生活は変わったそうです。
次回,5日(月曜日)から旅行の模様を